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ジョニーへ
今年は住所を教えることが出来なかったんで、
富士山の山頂で働く君から、暑中見舞いのはがきが届かなかったよ。
残念だったな。
それから、一日違いの誕生日おめでとう。

世間は君を精神病院へ押し込んだけど、
君は間違っちゃいないさ。
前にもそう伝えたし、君も解ってる。
ジョニー、私はあんたの云ってることがよくわかるよ。

下界へ降りたらまた、いろいろ話そう。




私なりの愛
私にとって最も最優先させるべきことは、あるひとつのものをつくること。
そのこと以上に、私がいま存在することの意味はないと思う。

その過程で、所謂(いわゆる)一般的な「女としての幸せ」を経験できなくても、
私は決して自分の人生を犠牲にしたとは思わない。

それは、自分を含むすべてに向けた私なりの愛で
満ちあふれる最高傑作になるのだから。
いつかこのように死にたい
ここ数年来、自分が死ぬときを想像すると決まって思い浮かぶイメージがある。

それは、どこかの草むらに横たわっているイメージだ。
頭の近くに柴犬がいて、とても天気が良い。
時折、爽やかな風が流れる。
季節はたぶん5月くらいで、すこしひんやりしたやや深い草が身体を包んでいる。
私は、しあわせだなぁと思いながら死ぬのだ。

このようにいつか死にたいと私は思う。

他人の批判をするまえに、自分の批判をするべきだ。

他人のことをあれこれ批判をするひとはたいてい、
自分については同じように批判することがない。
そして自分自身が他人に何倍も批判されていることを知らない。

誰かを心から褒めたり感謝することがほとんどないひとは、
同じように、他のひとから褒められ感謝することも少ない。

自分がいつも正しくて、他人がいつも間違っていると
自信を持っているのは結構だ。
だが、そのような人は孤独に歩むだろう。


誰かを批判する前に、自らを省みる習慣をもつならば
自然に口数は減るだろう。

誰かを批判するより感謝する言葉を多くするならば
誰からも愛されるだろう。





私が「私」を忘れるとき
私の能力が解き放たれる

”人生が目的自身になる”
これがつまり、分裂していない自己ということではないかと思う。
思うこと
京都に向かう道すがら、小学生が塾へと吸い込まれていくのを見た。
夏休みのこんなに天気の良いときに、海や山へ行くんじゃなくて、
クーラーのきいたビルの中で彼らは”勉強”している。
駅のホームでまだよちよち歩きの女の子を眺めていたら、
この子もいずれは塾通いをするんだろうかと思った。

それが良いか悪いかというのは誰にもわからないけれど、
私は、自分の子供にはそんなふうに毎日を過ごして欲しくはないから
今こうやって変わろうとしていることは、必要なことのように感じる。


私は、日銭を稼ぐために働くのではなく、自分の仕事をする。
私は、生きたいように生きる。

それは自分次第。
福岡正信さんがなくなりました。
昨日8月16日午前に、福岡正信さんが亡くなったそうです。
95歳。

福岡さんを訪ねて伊予市へ行ったのは、一体何年前だっただろう。
白くて長いひげをたくわえて、布団に身を起こし
しきりに何かを書き付けていた姿が思い出されます。

福岡さんに、今やっていることが成功したと、
生きておられるうちに報告したかったです。

いよいよ、今やっていることを成功させないといけないと思いました。
福岡さん、どうもありがとうございました。
オキナワ
先日、沖縄本島へ行ってきた。
もっとゆっくりいたかった。

okinawa1.jpg

okinawa2.jpg

いろんないいところを移動しながら暮らせたら、
一生しあわせだろうな。


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