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魂の共同体
私たちの正体について、過去から今に至るまで多くのひとたちが語ってきた。


私たちの正体とは、何か言葉で表現できない想いのようなものだと思う。
エネルギーといっても、光といっても、何でもいいんだ。
とにかく、、、何となくわかるでしょ?(わかるかな?)



ひとは身体を以てこの世に「存在」するのだけれど、いのちの正体……そのエネルギーみたいなものは、肉体がその形を失った後も絶えずこの世界のなかにあり続けていて、水のように循環している。

自分がたくさんの生命エネルギーの集合体なのだというふうに感じる。
食べ物を食べるたびにその食物のエネルギーを取り込んでいくのだし、祖先の命を引き継いでいるのだし、常に目にはみえない先人たちの想いを引き継いでいると思うから。
それは塊ではなくて、時空や空間を超えて同時に複数としても存在可能なものだ。



……こう書くと、オカルトちっくに思えるかもしれないけれど、
ブッダやイエスやカーネギーや老子やベンジャミン・フランクリン、その他大勢のひとたちはきっと、お互いに何か通じていたに違いない。
言葉では言い表せないあるレベルで、彼らはきっとうなずきあっているのだ。今も。


うまく書けないのがもどかしいけれど、私達は「魂の共同体」のようなもので、個人の喜びは全体の喜びでもあるということだ。
幸せに向かって、色んなアプローチを歩んでいるところ。
だから、皆が幸せであるように協力し合うようになったらいい。



起こることに本当は幸せも不幸せもないのだろうけど、だからといってそれをを分析しつくして、「はぁ~、私たちって不幸だよねぇ」と言ったって仕様がないような気がする。

不幸でありたいのか?それとも幸せでありたいのか?
幸せとか不幸せだとかいう区別は本当はないのだということを知っていて、その上で、幸せであることを選択することを、私は勇気と呼びたい。




目を瞑ってみよう。
あなたはきっと感じることができるだろう。
時空や空間を超えて、目には見えない多くのなにかが、あなたに向かって手を差し伸べていることを。
あなたは孤独ではない。
孤独だけれど、孤独ではないのだ。
手を差し伸べて、彼らと手を繋ぐがいい。
彼らからの深くて慈愛に満ちた想いを感じるといい。
ともにあることを感じるといい。


どうして、隣の人を憎むことができる?
彼(女)はあなた自身でもあると云っても過言ではないのに?



あなたの敵を愛そう。
あなたの隣人を愛そう。
あなた自身を愛そう。
あなたのいる世界を愛そう。

憎めば憎しみが、愛せば愛が、この世界に満ちる。



さぁ、あなたはどちらを選択しますか?



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憎めば憎しみが・・・
“憎めば憎しみが、愛せば愛が、この世界に満ちる”

この言葉がすごく僕に響きました。
kotaro | URL | 2006/05/12/Fri 16:25 [EDIT]
kotaroさん、
コメントありがとう。

気持ちって目には見えないけど、排気ガスと同じで、世界に満ちるんだよね、たぶん。いらだちとか苦しみを自分のなかで浄化して、吐き出すときには喜びやさわやかさにする。これってエコロジーだと思う。
腐海プロジェクト | URL | 2006/05/14/Sun 10:58 [EDIT]
緑や草花は二酸化炭素を吸って酸素を生むよね。
自然はそうやってこの世界を浄化しながら生きてる。
自分もそういう存在でありたいと(なりたい)と
切にそう思います。

エコロジーだなあ・・・。
kotaro | URL | 2006/05/15/Mon 14:16 [EDIT]

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