スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
変わっていく
語られる言葉は
それを語る主体のつかんでいるものとは別ものだ。


語られる言葉は
それが示そうとしていること自体にはなり得ない。




まさに「それ」を感じることでしかわからないということがある。



なぜ聖書は書かれたのか?
コーランは?仏典は?






書かれた言葉は、それを読むものの解釈によって違って読まれてしまう。

ブッダが語った言葉を、弟子たちが言葉にして残し、それを後世の人々が読む。
その過程で、やはり何かが変わっていってしまうのだ。
(それ以前にも、ブッダが語った時点で、何かが変わってしまっているのだ。)


でも、言葉のそういうところを嘆いていても仕方がないだろう。

沈黙していても伝わることがあれば、
会話を繰り返してやっと伝わることもある。




相手に「理解してもらおう」と必死になることはない。
私がいま会話しているのは、私自身だ。

そして沈黙へ向かっている(と思う)。


けれど無理に沈黙することもない。
この言葉があふれて仕方のない状態にまかせる。

こうして書きながら、書き始めと何かがもう変化してしまっている自分に気がつく。


変わっていってしまう。



生は表本ではない。
もし何かを観察しようとしても、それは死体でしかない。


そのことを横目でみながら書いている。
言葉のがらくたを積み上げている。
スポンサーサイト

Comment

管理人にのみ表示する


Track Back
TB*URL

Copyright © 腐海プロジェクト2005-2008. all rights reserved.
Design by Pixel映画山脈

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。