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保育園時代に先生が蛍光灯を指しながら
「この光はずっとついているようにみえるけど
本当はついたり消えたりしているんだよ」
と言った。


最初、光とは粒子であると思っていた。
けれども、それが波であると書かれた本を読んだとき何か腑に落ちる感じがした。


電気は原子(電子)が移動して伝わるのではない。
波のように電荷の変化が伝わることによって伝わる。
ものが移動しているのではないのです。


ミジンコがなぜ「生きて動いて」いるのかということは、物理学や量子力学が探ろうとしたことの一つだけれど、結局今でもわかってはいない。
生命を技術によって「生みだす」ことは誰にもできない。
科学者たちは、いつもその先に「サムシング・グレート」の域を見いだしてきた。
生命が何だかわからないということをよく知っているのは、他でもない科学者たちだ。

(神秘主義者は科学主義者を非難するが、多くの人間の生活が科学の恩恵にあずかっていることは否定できない。蛇足だけれど、C.P.スノウは「二つの文化」の統合の必要性を指摘している)



さて、何をいいたかったのかな(苦笑)。


シュタイナーというひとがいた。
哲学者であり、優れた教育者だとも神秘主義者だともいわれているけれど、その彼が「純粋な音」というのが役立てられる時代がくるというようなことを云っていたのを、昔本で読んだと思う。


ここからは私の勝手な空想(とはいっても、この手の本を読むのは昔から好きだったのでその知識の影響はある)だけれど、この世を構成する全ての原子たち(あるいは電子たち)は絶えず動きまわり、波をつくりだしている。少なくともこの地球上では物質的に空っぽの空間はないので、その波動が伝わっていくというのは考えればあたりまえの話だ。
だから、その波さえ伝われば、私の声は地球の裏側にだって届く。
(匂いというのは粒子なので、電話の向こう側には普通は伝わらない。)

*量子の世界というのは、理論上成立している世界なので見ることができない。


「気」とか「波動」とよばれているものは、こうした波のことなのかなと思う。
(ちなみに「光」とか「エネルギー」というのも)

幸福を感じさせる波動というものもあるだろうし
逆に不幸を感じさせる波動というのもあるだろうと思う。

脳のアルファー波だとか何とかいうものは
もちろん意図的にコントロールすることだってできるだろう。
これは考えれば怖いことでもあるのですが。




何だか隙だらけだなー。
まぁいいや。



それで、誰かと「気が合う」とか「気が合わない」とかいうのは
その人が帯びている波と自分の波とが合わないということだろう。

ある場所にいて心地よいと感じるのは、
その場所にあるものが放っている波があなたの波と上手く調和しているからだろう。


こういうことは、別に科学的な話を持ち出さなくても
昔から多くのひとたちが云ってきた。




日本に住むひとびとは特にそういうことに敏感なんだろうと思う。




書いていて「あれ、何だか違うなぁ」と思ったことがあったんだけれど
何だったのか忘れてしまった。
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