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公共言語と個人言語
(合理的文化にもとづく)共同体における言説とは
語るべき・語られるべきなにかを代表者として語ることである。

それをあなたが語ろうが、他の誰かが語ろうがかまわない。

それは、誰かによって語られることを求めている。

共同体においては、ある企てがあり、人々は
それを達成(具現化)するために「協働」するよう要請されている。

要請されている事柄を感知する者は、それに従って行動する。
それは役割(ロール)であり、他者と交換可能なものでもある。
つまり、ある特定の人間にのみ実現可能なものではなく
他の誰かによっても成し遂げることが可能ななにかである。

共同体における「新発見」とは、
「(潜在的に)語られることが求められていたなにか」が、ようやく
共同体における合理的共通言語で語られるようになるということであり、
それを誰が初めて語ってもかまわなかったという点においては
個人の名誉(名声・功績)といったものは小さなものである。

(つづく)
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