スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
信号で思うこと
横断歩道で歩行者信号が赤だったとき、
あなたはどうしますか。


私はたとえ信号が赤だったとしても、渡れそうだったら渡ります。
(もちろん、車に跳ねられずにちゃんと渡れるときだけですけど。)


歩行者信号の本来の役割は、人が安全に道路を横断できることを
補助することだと思います。
では、安全に渡れるのなら、信号が赤でもいいのではないの??
……というのは私の屁理屈でしょうか。

多くのひとが、信号が赤のときにちゃんと立ち止まって
車が来ていなくても青になるまで待ちます。

そしてそれは何も、信号に限ったことではないようです。

ルールの本来の目的や役割を忘れて(もしくは知らずに)、
無条件に従うということ。
思考停止してしまうということ。
そして、さまざまな可能性に気付かずに
目のまえのチャンスを逃してしまうということ。。。


歩行者信号が赤のときに、いつもそんなことを考えてしまいます。


スポンサーサイト

Comment

管理人にのみ表示する

この問題は私もよく考えます。広い道路の場合は待つことが多いですがわずか数歩、しかも全く車は見えない。そんなときは渡りますね。何が何でも機械に管理される人間ではありたくありません。法社会ではあくまでも違法になりますが法はあいまいさを嫌います。人間はある程度自己責任の範囲内ならあいまいでもいいと思いますが・・・。「悪か善」かといえば外見上は違法だから「悪人」ですね。でも自分の心の中で「違法を犯している」とい意識(本当の自分)があるならこれは「善人」なんでしょう。
ここで問題を一つ「悪いと知って犯した罪と知らずに犯した罪とどちらの罪が重いか?」
お釈迦様の答えは「知らずに犯した罪の方が重い」です。
yabuえもん | URL | 2005/12/23/Fri 13:57 [EDIT]
yabuえもんさん、こんにちは!
「知らずに犯した罪の方が重い」、ですか。裁判ではたいていその逆で、知らずに犯した罪のほうが軽いということになりますよね。

私は、正直なところ「善と悪」ということは云えないと思うのです。すべては相対的なものだと思うので……。「善と思えば善になり、悪と思えば悪となる」ということではないかというのが私の考えです。

ただ、子どもの目のまえで赤信号を渡るのは、悪かもしれないなぁ~なんて思います(笑)。
よし子 | URL | 2005/12/24/Sat 01:39 [EDIT]
善と悪
「善と悪」これは難しい問題ですね。世間一般では法を犯すものはすべて悪と見てしまう傾向がありますが、すべて心の問題でしょう。人を見て「彼は悪人だ、善人だと判断するのはすべて自分の心」です。自分が悪人と思っている人でも他人から見れば善人である場合果たして枯れは善人なのか悪人なのか・・・・・
親鸞聖人の有名な歎異抄の中の言葉「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
さて、今回のマンション偽装問題誰が一番悪人と思われます。

yabuえもん | URL | 2005/12/24/Sat 09:22 [EDIT]
買う人がいるから作るひとがいる
本当に、「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」ですね。

マンション偽装問題ですが、「誰が」悪いということではなくて「何が」悪いかということを考えることが大事だと思います。
「その人が」悪いのではなく、「その人の考えかたや行い」が悪いということです。
そしてその「悪い」という判断自体もあやふやだということを知ったうえで「悪い」ということが大切だと思います。ややこしくてすみません。。。

それで、具体的には偽造マンションを建てる人間がいれば、その背景にはお得(安くて広い家)かどうかで家を買う人間がいるということで、もっといえば、日本というのはそういう価値基準でものを買う国民の多い社会だということです。
全部が繋がっているんだと思います。

この考え方だと、人の行いを指摘する前に自分の行いをただすことが必要になってきて、悪い行いをする人を一方的に責めることができなくなりますよね。
よし子 | URL | 2005/12/24/Sat 12:44 [EDIT]
おっしゃる通り
まずは人の行為を非難する前に己自身の心がいかなるものかを考えねばなりません。
前のお釈迦様の言葉ですが、行為そのものではなく「心」を説いておられます。信号の問題で言うならば「知って犯して罪」すなわち赤信号で渡ることは悪いと心の中で判っていますから細心の注意を払い事故がないように注意しながら渡るでしょう。だからもし事故が起きても軽くすみます。しかし赤信号を渡ることが悪いことと知らず渡る人は周りに注意することもなく渡ってしまいますから事故が起きたとき大事故となる可能性があります。
お釈迦様はこのことを「知って焼けた鉄を握るのと知らずに握るのとどちらがひどいやけどをする」とたとえておられます。又親鸞聖人の言葉には色々な解釈があるようですが、私自身簡単に解釈するなら、「誰でも人の悪口、批判をしますがそれを反省する心があるならそれは悪人ではなく善人である」と解釈します。今回の問題でも買う人は「広い、安い」ここを主体に考えてた方が多かったと思いますが、物にはボランティア以外適正価格というものがあります。価格を安くするには工期を短くするのがもっとも簡単ですが、安いものにはそれなりの問題が必ずあります。買う方があるからこのようなものがまかり通るのも事実でしょう。売った方の責任ばかり今問題になってますが買う側にもこのことを考える必要があると思います。昔からあることわざに「安物買いの銭失い」があります。
私は小さな建設業を営んでますが常に適正価格を目指し、お客さんから無理な値段を言われた時は責任が持てないから断ります。このやり方で35年になります。
yabuえもん | URL | 2005/12/24/Sat 14:06 [EDIT]
そうですか、yabuえもんさんも建設業を営んでいらっしゃるのですね。

私の友人や知り合いにも建築関係のかたが多いのですが、みなさんそれぞれ今回のことに関して考えがおありのようです。

何にせよ、このことがきっかけで、私にとってひとつ気付きが得られたことは、間違いありません。
よし子 | URL | 2005/12/25/Sun 01:53 [EDIT]

Track Back
TB*URL

Copyright © 腐海プロジェクト2005-2008. all rights reserved.
Design by Pixel映画山脈

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。