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最近、好きな言葉がある。
韓氏意拳の稽古(?)中で言われた言葉なのだが

「主体は自分です」

それと

「全体のバランス」
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今朝、目が覚めたとき
自分の新しい名前がわかった。


  晴明(はるあきら)


父方の祖父と母方の祖母の名前から、
一文字ずつ戴いた。

8月には正式に手続きする。


これで、某宗教団体の教祖に与えられた名前ではなくなる。
種が育っていくところをみるのはとても好きだ。


子供の頃はよく種を蒔いた。

私の祖母は野菜から草花から、何でも植えていて、
種ができる時期になるとそれを収集して蔵に保存した。

私は、種から芽がでて育つというのが面白くて仕方がなかったので
よく「ねぇねぇ、これは何の種?これもらっていい?」と
種をわけてもらっては植えた。


あるとき、かぼちゃの種をたくさんもらった。

私は、それを実験に使うことにした。

実験というのは、耕してもいない硬い土の上に「ただ」ばら撒いてみるというもので、祖母には散々「そんなところに蒔いてもつまらんよ」ととめられたのだが、強行した。


草取りはおろか、水遣りも一切しなかった。

ただ、放っておいたのだ。


結果は、大収穫だった。
(沢山の実が次々になって、しかもおいしかった)



草取りをしなくても、肥料をやらなくても、
自然は勝手に生命を育ててくれるのだということを知った。


*    *    *
腐海プロジェクト的コミュニティは、小国寡民的ともいえる。


野菜は、その土地に育ったものを食べる。

わざわざ遠くからエネルギーをつかって取り寄せたものを食べたりしない。

しかも、畑の世話なんていうのはしない。
するとしても、最初のほうに、ちょっと手助けをするだけだ。
あとは自然が勝手にやってくれる。


腐海プロジェクト的には、土壌の豊かさというのが、
その土地に住むひとの自然の理解度のものさしのひとつとなる。

*    *    *
ただ屋上に芝を植えたり、街路樹を植えたりすることで「自然と共生する」なんて言っている限り、この文明は滅亡するしかない。
私の身体は頭がいい
内田樹さんがそういうタイトルの本を書いているが、
こんなことは日常茶飯事だ。

頭で認識するよりも先に、カラダは動く。しかもすごく正直に。


小学生のとき、風邪で意識が朦朧としていても、カラダが勝手に動いてくれていることに気がついたときの驚きと感動は大きかった。

私の体は宇宙の縮図のようなものだなーと思ったものだ。

カラダの細胞のひとつひとつが私を生かそうとがんばってくれているのだと思った。私の意識は無力だけれど、この不連続な陽子やら中性子やらは、どういうわけだかひとつの「私」というものを、引き合いながらつくっている。



いつものように言葉がうまくまとまらないのだけれど、
本来はバラバラのものがこうしてひとつの「わたし」ってものをつくっているということが凄く不思議で、凄く感動したのだ。

しかも、私はどうやってブドウ糖を分解すればいいのか知らないのに、
私のカラダはそれを当たり前のようにやってのけているのだ。

凄すぎる。



人間は、たんぱく質やアミノ酸などからどんな生命体もつくりだせない。


人間にできることは、せいぜいその神秘的な創造の力に頼って、固体を複製することぐらいだ。



腐海プロジェクト的ヒトの家
小学校の低学年の頃、よく自宅の庭にテントを張った。

テントは2つあって、ひとつは大きな直方体のもので、
もうひとつは芋虫のような小さいものだった。


大きいほうは一人では張れなくて、父に手伝ってもらったけれど、
小さなほうはひとりでなんとか張れたものだった。

よく、近所の友達と一緒に、森へ行って秘密基地をつくった。
…と言っても、4本の木の幹にビニールの角に通したヒモを結びつけるくらいのよくあるやつが多かったけれども。


そのうちに、私は傘をいくつもつなげてテントのようなものがつくれないかと試行錯誤するようになった。
折りたたんで持ち運べるからだった。
でも、角度が合わないからデコボコになってしまって、しかも長い柄が邪魔でしょうがなかった。


そこから今まで自分のなかでは、それに対する私の見解は何も進んでいなかったのだ!なぜなら、実際に計算も実験もしてみなかったから。



今までこの地球上にはびこってきた建築のほとんどは、
地面に傷をつけて、コンクリートで固め、しかもそこにヒトの生活を固定させる。

これに対して、新たなヒトの家は
軽くて、基礎工事がいらなくて、(上手くいけば)太陽光を遮らずに地上から離れ、地表の植物たちの領域を侵さず、動物たちの道を遮らず、地下に管を埋めることも必要なく、あるときには畳んで別の場所に移ることができ、しかもあとにはもとのままの地表が残っている。

まさにタンポポの綿毛のように。


また、もっと進めば、ぱっと見ただけではみえなくなるだろう。



腐海プロジェクトの実現に向かっての選択:地域
腐海プロジェクトを実行する場所
(無数の選択項目がある)

その1:都市
その2:田舎



このどちらでも可能ではある。
しかし、

空のコップに
砂を入れてから水を注ぐのと
水を注いでから砂を入れるのとでは
難易度と結果が違ってくる






愛するひとの幸せ
大好きで、本当は一緒にいたかったひとが、パートナーとめでたく結婚した。


なんとなく彼は彼女と幸せになるだろうという気はしていたが、
もしそうなってしまえば自分は気が狂うのではないかと思っていたら、
意外にもそうではなかった。
もちろん、残念な気持ちも少しはあるのだけれど。


彼と彼女におめでとう。



私はだんだんと、欲がなくなってきていることに最近気がついた。

もちろん成したいことはあるのだけれど、それが絶対というわけでもなく、いつ死んでも悔いはない。



ついこの間までは、「自分がこれをやるんだ」という気持ちが強くて、肩に力が入っていたのだけれど(そして今でもまだまだ入ってはいるんだけれど)、あるときから「自分がやらなくても勝手にそうなるんだ」ということに気がついてから、ある意味とても楽になった。


言葉足らずでわかりにくいだろうが、

「私という存在は全体の一部である」ということの肯定

とでも表現したら近いかもしれない。




ネイティヴ・アメリカンの言葉でこういうのがある。


「タカ(じゃなかったけど仮にそうする)を殺しても、
タカのドリーミングは死なない」


ある人のドリーミングというのは、例えそのひとが居なくなったとしてもなくならないのだ。



この世界にある特定のことにドリーム・アップされるひとは自分だけじゃない。

ひとりのひとは、完全にユニークだけれども
それでも似たような方向性の夢をみるひとは世の中に少なからずいると思う。
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人の集まるところ
熊本の阿蘇で生まれて
高校入学で熊本市内に移り、
大学入学で大阪の箕面市に移り、
その後梅田の中崎町に移ってから
6年が経とうとしている。


私は都市のもつエネルギーに引き寄せられてきた。


その中心はからっぽなのだが、そのエネルギーは
近づくものを巻き込んで吸い寄せていく
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LOHASマーケティング
LOHASというマーケティング用語に
踊らされてるひとがこんなに多いとは
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