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前回の記事を書いたその夜に
こんな夢を見た。


女みたいな人(女とか男とか識別できなかった)が出てきた。

それで、その人(かもわからない)にきいた。
「(ぜんぶひっくるめて)なぜですか?」

その人は言った。
「あなたは男や女を越えなさい。
そういうことを越えるためにあなたはおくられました。
見なさい。あなたの体型も、そのために与えられています。
必要なものはすべて与えられているのです」

私はそのとき、自分の薄っぺらい胸だとか
ばねのある自分の肉体のことを思った。


「そして、あなたは"自分"を越えなさい。
あなたが自我に執拗に執着するのは、
それを越えることがあなたに与えられた課題だからです。
これはあなたにとってもっとも難しいことです。

あなたにとって、もっとも難しいことであることは
知っています。
でもそのもっとも難しいことを越えることでしか、
あなたのすることは果たされません。

犠牲にするのではありませんよ。

犠牲とは、あなたの受け取りかたでしかないのですからね」


(ここで私は号泣している)

「(私が自分の火のような性質が嫌だと思ったのを察して?)火?
確かにあなたは火の要素が強いかもしれないけれど、
あなたは、火であり水であり、あらゆるものを含んでいますよ。
誰しもそうなのです。

占いは迷いを生み出します。
占いに惑わされることは愚かですからやめなさい。

それよりもしあなたに火の要素が強いのなら、
水を抱えなさい。

あなたはあらゆる対立を超えるように」


「"私"に囚われないようにしなさい。
あなたにはやらなければならないことがある。

そしてそれは
あなた自身がそれをすると自ら選んで誓っていることです。


あなたはおっちょこちょいで、無鉄砲で、自ら事を難しくしてしまうので、気の毒ですが…(と言ってやわらかく微笑む)」

(つられて苦笑するがもっと悲しくなる私)



だいたいこんな感じのことを私に言った。

そこからは覚えていない。




それから、ここ一年くらいで繰り返しみる夢がある。
飛行船が落ちる夢だ。

私には、もうすぐその飛行船が落ちることがわかっていて、
家屋の中に逃げ込む。そうすれば爆風から逃れられる。


その夢をこの間も見た。

いつもと違ったのは、それが太っちょの竜だったことだ。


西の雲のなかで稲妻が走り、そこに竜がいるのを知っている私。
南の空に姿が現れるのだが、それが風船のようにぷくぷく太った竜。
最後に北東の空のほうで、私に
「後は頼んだ」
といいながら墜落する。



いったい、何なんだ。




ともかく、あの女の人の言葉は、
そういうふうに納得したくて、夢の中で自ら言い聞かせていたのかもしれないし、まったく別のなにかが私にメッセージを伝えてきたのかもしれない。

それはわからない。


わからなさすぎる。




疲れた。


考えるから疲れるのだ。
悩まなくていいことで悩むからだ。

悩みをつくりだしているのは自分自身。

この自我は、まったく…。
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自分の中の男と女
私の生物学的な性は女だ。

でも、男であったらいいのにと思うことが多い。
もちろん、女であることに幸せを感じることもあるけれど。



世の中を見渡してみると、社長だとか研究者だとかは男の人が多い。
その人たちの脇には素晴らしい女の人がいることも多い。

最近は、世界中で女性は活躍している。
でも、なぜビジネスなどの分野で女性があまり見当たらないのだろう。



脳の発達のスピードと得意分野が男性と女性では違うことも、もちろん大きく影響しているだろう。
肉体的な違いもあるし、子供を持つと子供のことにかかりきりになることもある。

ただ、これだけではないような気がする。



この社会の性質。



私はそれを感じる。
見えない分厚い壁。
そして、自分自身による自己催眠。

それらがブレーキをかけている。




女は男性の支えになるのが好ましいのか?
それはどうしようもない自然なことなのか?



「男性のように」社会へ出て行く女性のパートナーとなるのは、
「女性のような」男性なのか?


男女とは?


「私のなかの女性」はどうしようもない孤独を感じている。
「私のなかの男性」もどうしようもない無力感を感じている。


性質の問題ではないのか?



賢者たちは、大切な偉大な夢を実現するためには、犠牲にすることも大きいという。


私のなかの女性と男性がうまく融合しない。分裂している。

私のなかの女性と男性は、どのように共存していったらいいのだろうか?










テンセグリティのワークショップ
来年の1月20日に広島から梶川泰司さんという方をお招きして、大阪でワークショップをすることになった。

なんでそういうことになったかというと(ちゃんと説明すると私の生い立ちから話さないといけなくなるからよすとして)、おおもとは不動産…つまり土地を私有化したり売り買いするということに未だに納得いかないからだ。

だけど現状ではそういう社会であるのだから、そのなかで何ができるかと考えていた5、6年前にある建築家夫婦と出会い、それから建築で何かしようということになった。

ここでは詳しく説明しないけど、すべての物体・物質はエネルギーの、異なる形態にすぎないという考えが私にはあって、それがバックミンスター・フラーとリンクした(それだけじゃないけど)。

建築という点では、ドーム(シェルター)が特に。

それで、シナジェティクスとかテンセグリティとかについてもっと知りたいと思ったので、梶川さんに連絡したら、ワークショップをすることになったというわけだ。


自分でもいつも無謀なことをするなぁと思うけど、普通なら無謀だと思うことをやってしまうところが私らしいなぁと思う。
そういうゴリ押しとも云えるパワーは、私の弱みでもあるし強みでもある。
あなたがあなたのようであるのは、
それが世界に必要だからだと思う。

私たちは、ある共通の方向に向かって成長していく
エネルギーではないかと思う。

あなたはあなたというかたちをとって
この世に存在しているが
それはこの世界の想いがそういうふうに結晶化し
立ち現れているように思えるだけではないだろうか。


あなたがだらしない(と社会のなかで評価されてしまう)人間であるのは、
それがこの世界に必要なことだからだ。
もしそれがあなたの本質の立ち現れたものであるならば。


誰かが富み、誰かが明確な思考回路をもち、誰かが健康であるのも
誰かが貧しく、誰かがのんびりとした性格で、誰かがいつも激しく揺れ動く性質の持ち主であるのは、それがその人の役割であるからだろう。


この世の中では、富んでいる者、頭のよい者、健康な者などが良いとされるが、そもそもこのせかいには陰と陽の両方があり、それでひとつなのではないかと、私は思うのです。
そして、すべてのものはこの陰陽の間でゆらいでいる。
すべてのものに陰陽が内在する。

陰だけ、陽だけ、ということはありえない。

この世のものは、すべて最初から必要があってそうあるのが自然というもので、富めるものが富んでいるのは、それがその人の役割であるからです。そう思います。

それをその人が自分の功績だとかいうふうに驕るのは、勘違いだということです。
誰かの幸せは、すべての人の幸せの一部にほかならない。

私たちは、深いところでひとつの共同体であるということを思えば、
エゴは弱くなり、安心して、自分の持ってうまれた役割に専念できるのではないでしょうか。


わたしが自然にわたしのようであることと
その「わたしの自然・自然なわたし」を伸ばしてやること

それが私がたいせつにしたいことです。
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