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パトリック・ブランと「緑の壁」
壁に植栽をするのはとても難しいことだ。

金沢21世紀美術館の壁を植栽して、日本でも注目されつつある植物学者のパトリック・ブラン氏に私もとても興味がある。


↓これはブラン氏の日本での代理店(?)のホームページ
http://www.midorinokabe.com/



「その土地の植物をつかう」

ということはとても大事だと思う。
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私の強迫性障害はなぜ消えたのか?
これは前にも書いたと思うけど、私は中学から高校にかけて「強迫性障害」というのになっていた。


いろんな症状があるのだけれど、私の場合は「汚い」と思うものに触れなくなり、手洗いがとまらなくなる、しかもそれをやめたくてもやめられないという症状だった。


「なぜそうなったのか」

ということを、そのころはひたすら考えていた。
自分のこころを観察し、分析しつづけた。


もともとそういうこと(自分の考えや行動の源を探ろうとする作業)をする傾向が強かったのだけれど、そのころは輪をかけてその傾向が強まった。


しかし、深く見れば見るほどに、症状はひどくなっていく。
手洗いがとまらない。
家のなかも、部屋の隅っこを伝うようにして歩く。
学校のトイレのノブに触れない。
などなど。。。



母が
「考えるのをやめなさい。あんたは考えすぎる」
と言った。


しかし、考えることは自然にそうしてしまうのだから、やめられなかった。



高校で一人暮らしをはじめて、症状はみるみる和らいでいった。
そればかりか、掃除をするときは、率先して誰もしたがらないような仕事をやるようになった。

「そうだよ、汚いものをきれいにしようとすれば、手は汚れる。
そして、手は洗えばきれいになる。でもそれは見かけの話で、掃除をして本当にきれいになるのは、自分のこころのほうなんだ」

言葉にすると説教めいたことになるけど、そういうことが「本当に」自分のこころで理解できるようになっていった。


そうして、強迫性障害の症状は消えた。




数年前、脳科学者の茂木健一郎さんに呼ばれて、心理学関係者の集まりに行ったことがある。
その後で、10人くらいの心理学者や療法士とお酒を呑んでいるときに、ふと私の強迫性障害の話になった。

自然に治ったのだという話をしたら、彼らは急に興味をもったようで、どうしたら治ったのかと聞いた。
今のところ薬物治療しかないという。
医者にもかからずに、なぜ治ったのか?


そのときは「何かに納得したからじゃないですかね」と答えたのだけど、いまだに私も何で症状が消えた(「治った」という言い方は好きじゃない)のかわからない。


こころのことは、いまだによくわからない。



私のこころには、私が自分で向き合うしかない。
最終的には。

みんなに共通しているものと、それぞれ違っているものがあるから。



あれ、まとまりがないな。





心理学なんてなくなってしまえ。
土地の問題
土地というのは、私にとって重要なテーマだ。


生まれ育ったのが田舎で、畑があり、山があり、川があるという環境にいたので、幸せだとかくらしというものが土地に密接にくっついてしまっているのだ。


土地は誰のものか。
なぜお金が生まれたのか。
私にとって理想のくらしとはどういうものか。

そういうことに興味があり、今に至っている。



アメリカの建築はなぜ高く(多階に)なるより横に広がるのかというと、それは単純に土地がたくさんあるからだ。
土地があって、建物を高くするよりも、横にどんどん広げるほうが安いから。

だけど、人が集まるニューヨークとかロスとか、そういうところでは
そうはいかないので、建物が高くなるし、土地も高くなる。



日本はこんなに狭くて人がいっぱい住んでいるから、広い家を建てるのは難しい。どこか田舎に住むのなら話は別だけど。



土地を所有するという考えが生まれたからには、こうなるのは仕方がなかったのだろうか。

ネイティヴ・アメリカンの言葉がこころにしみる。



私には夢がある。

ある空間をつくりたい。


イメージはある。


ただ、それを形にするのは難しいのだ。




【本田健さんの書籍のうち、新たに3冊が文庫化しました。
そのうち、『「ライフワーク」で豊かに生きる』っていう本は、とくにお勧めです。】


「ライフワーク」で豊かに生きる 「ライフワーク」で豊かに生きる
本田 健 (2006/09/16)
サンマーク出版

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直感の裏には、じつは、
論理があり、経験がある。
(と思う)
キャラクター
中学生のころ、自分の中にいろんなキャラクターがいて、
それぞれに名前をつけていた。

一番多いときで、8人くらいはいたかな。

そのころの日記だとかノートを見ると、それぞれのキャラクター同士が会話をしたりしている。


キャラクターは高校のときまでに徐々に減っていき、
大学に入ったときくらいには、ぜんぶが私のなかに吸収されてひとつになった。


Metaphorical(隠喩的な)
気づいたことの覚え書きです。


私はなぜだか世界に起こることをメタファーとして見る癖がある。
一番古い記憶では、保育園に通っていたときのもの。

身近なものを観察して、そのエッセンスを見つけると、それはほかのものにもあてはまることがあるからだと思う。


ミクロはマクロを映し、マクロはミクロをうつす。
自然の法則のようなものかな。

でも、複雑系とは違う。
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