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その人の持っているものをひきだす
MOTTAINAI運動というのがある。

これは少々私の偏よった見方をすれば
資源を大切にしよう、地球を大切にしようという運動だ。





そこで私は mottainai(小文字)運動 というのを提唱する。

それはそれぞれの人がもっているものを
大切にしようという運動だ。



ある人に何かをつくりだすちがらがあるとするなら、
また別のひとが話術に長けているのなら、
そして淡々と仕事をこなすことに喜びを感じるひとがいるのなら、

それをうまくひきだし伸ばすようにしよう。
そのひとがそのひとであることをもっと大切にしよう。




そのような社会を望む。
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こころ (変容について)
ある人が社会に向かって「正しいこと」をいくら理路整然と述べたところで、なかなか人々は動かない。


なぜなら人は「正しいこと」よりも「正しいと思うこと」に動かされるから。


こころが動かされなければ、ひとは動かない。変わらない。





世界が変わるには
ひとりひとりが変わること

ひとりが変わるには
ひとりひとりのこころが変わること

誰かのこころが変わるには
まず自分が変わること







私が少しずつ変化しているのは
私がせかいのなかにいるから
いつも誰かと繋がっているから


みんなで世界をつくりあげている

この一生でできることは限られているから
私にできないことは、それをできるひとにお願いする
そのひとに任せる

ひとに任せるということは
そのひとを信頼するということ

疑り深いこころを越えて
信じるということ
2年後、中崎町のおじぃは
もういないだろう。


100年後、私は
もういないだろう。


でも、私を通してせかいのみる夢はなくならない

また別のひとを通してせかいは夢をみるだろう。
ぜんぶが私の生
私は
学問には興味がない
ある問いに答を出すということには興味がないのだ


哲学の本やビジネスの本や心理学の本、成功哲学の本に科学の本、小説に随筆、美術書から週刊誌、ファッション誌、いろいろ読むけど

読んでも忘れるし


でも忘れるから私のなかに溶けて私の血肉になる



私が子どものころからしたかったことは
生そのままを生きるということだ


それはどういうことかというと

息をし、笑い、泣き、畑からトマトを採ってきて食べ、
「暑い~」とか言いながらしばらく昼寝をし、
誰かとともに時を過ごし、
日が暮れていく風景をぼーっと眺めるようなことである

自分が自然にしあわせに生きること

だから、「何を」していたってかまわない
自分が「何者」であろうとかまわない




たぶん、誰かのことを「どうにかしてあげたい」と手をつくすより
自分が満足して生きていることのほうがいいような気がする


私は論理的に考えることが苦手だし
自分が感じていることをそのまま表現するような手段もない

だけど、私という存在はいまここにあって
みんなはそれを感じることができる




腐海プロジェクトは
心理学でもあるし、科学でもあるし、哲学でもあるし、都市計画でもあるし、ビジネスでもあるし、宗教でもあるし、芸術でもあるし、それは私にとっての生きるということ自体でもある

腐海プロジェクトなんて名前だって本当はいらない





まぼろしだとしても
「オッケー」ということ
二律背反
否定即肯定
肯定即否定


言葉遊びをしているわけではない




言葉はその性質上、表面的には極しかあらわせない
ひとのmindが(言語をつかって或いは理性的に?)思考するかぎり


相反するふたつのことが
根本的に同じであるということがわからない






いまここにあるということと
ここにあるとみえるだけということは
どちらもほんとうだ
そしてほんとうでない


わからないものを
「わからない」ままにできないから
くるしいのだとおもう

わからないと思えても
ほんとうはわかっているのに
資本主義が変わっていく
これは何も新しい話ではないのだけれど。


これまでの資本主義が行き詰って
これからはもっと違う世の中になっていく。
これはほぼ確実だ。


最近のビジネス書はより”スピリチュアル”な内容のものに
なってきている。


メガトレンド2010 メガトレンド2010
パトリシア・アバディーン (2006/07/10)
ゴマブックス

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出現する未来 出現する未来
野中 郁次郎、高遠 裕子 他 (2006/05/30)
講談社

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これからの企業は、利益を追求するだけのものではなくなるだろう。

ヒトが高い知能と技術を活かすには
100年前は日本からアメリカまで行くのには
船に乗ってひと月以上もかかった。

今は飛行機で10時間前後で行ける。



江戸時代、大坂へ行くのに
歩いて15日、走って4日かかった。

100年前、鉄道で15時間半かかった。
40年前、新幹線で3時間になった(今は2時間半)。
今は飛行機で1時間だ。


早く移動するには、より高い料金を払えばいい。
(お金で時間を買っているのだ。)





旧いものが新しいものにとってかわられるとき、
否定的な反応をするひとが多い。

でも、しばらくすれば、
その新しいものなしでは生きていけないなんて言っていたりする。

新しいものに馴れてしまえば、それ以前のものなんてすっかり忘れてしまう。


*     *     *     *

人間のもつ知能とそれによってもたらされる技術の進歩によって
現在の冷蔵庫は、10年前の冷蔵庫より
確実にデザインもよくなっているし、より"省エネ"だ。

製品をつくるときに、私たちは
ただ自分たちの生活を快適にするだけのものをつくりだすのではなく、
より美しく、より環境にもやさしくあるものをつくることができる能力を持っている。

新幹線は速くて便利だけど、うるさいというならば、
速くて消費電力が少なくて、静かに走行する技術を開発すればいい。

こころが錦なら、身も錦で飾ればいい。
(私は快楽主義でもないけれど、禁欲主義でもない)



人間には優れた知能が与えられている。
自分たちの自然環境を損なわずに(できるならケアしながら)
しかも暮らしよいものにしていけるように
その技術を高めていけばいいのではないかと思う。
意味なんかないね、意味なんかない 今にも僕は泣きそうだよ
人間のmindは、起こることについて、
いろんな解釈や判断をする。

(でもきっと本当は、起こること自体には何も意味なんてない。)



人よりものを知っているからと得意になってみたり、
人より姿形が劣っているからといって劣等感をおぼえたり。

人間のmindはいろいろと忙(せわ)しない。
大概は小さなことで一喜一憂している。



多くを知っていながら、そのことをなんとも思っていないひと。
病気でありながら、そのことをなんとも思っていないひと。
このような人にはこだわりがない。

こだわりのない人は、こころが自由だ。



意味を見出そうともせず、ただ起こることを受け止めては、手放していく。
風邪をひいて思うこと
風邪をひいている。


臭覚が麻痺してしまっているので
食べ物を食べても味がわからず、
お香を焚いても香りがわからず。。。



あらためて、
五欲(色・声・香・味・触に対する感覚的欲望)と
六欲(色欲・形貌欲・威儀姿態欲・細滑欲・人相欲)
を思い知らされる。




4~5年前に芦屋の美術館へ「美術館のピクニック」に行っていたとき
藤本由紀夫さんが、

「見えるのは、見えないから
 聴こえるのは、聴こえないから
(見えないのは、目があるから
 聴こえないのは、耳があるから、だったかな??)

と作品に書いていたのを思い出す。




味のない食事はおいしくない。
おいしくないから、食べたいという気がしない。

つまらない。

生きることが楽しいのは、この身体があるからだ。
この感覚があるからだ。
この欲があるからだ。

しかし、楽しんでいるのは、このこころだ。
苦しんだり楽しんだりするのは、このこころだ。




味のしない食事をしながら、
香りのわからないお香の煙が立ち昇るのを見ながら、
「幻」という文字を思い浮かべる。
フォーカス
今日は「人を救いたいと思うこと」について書きたいと思います。


私は高校を卒業するくらいまで、世界を変えたいとか、社会の暗闇に光をあてたいとか、そういうことをよく考えていました。

ところがいつからか、そう思う気持ちに違和感を感じはじめました。



なぜでしょう?






それはおそらく(おそらく、ですが)

「自分が幸せでないのに人を幸せにするなんてことはありえない」

というふうに思い始めたからだと思います。


何と表現したらいいのか…

「自分が求めていることを世界も求めているはずだと思っているだけなのかも」

と思ったから、でしょうか。


うーーん。





昨年から、成功哲学と呼ばれる分野の本をよく読んで研究しているのですが、幸せに成功する人というのは、ネガティブなニュースや思考はできるだけ受け付けないようにと書いていることが多いのです。

もちろん、彼らはそれを無視しているのではなく、あくまでもそれに影響され、引きずられないようにしなさいと書いているのですが。



自分が日ごろ頭の中で考えていることに、自らが影響されていくということでしょうか。(所謂”無意識のうちに”です)

何にフォーカスするかによって、方向が定まってしまうのです。

壁にぶつかると恐怖し壁にフォーカスしてしまえば、本当に壁にぶつかってしまいますが、壁ではなく進みたい方向を見れば、そちらに進むことができる。ということかな。




(なんだか、眠いのでじっくり考えることができません…スミマセン)


それぞれのひとが幸せな自分を思い描き、実際に行動して幸せになることが、幸せな世界をつくるのかなーというようなことを思っています。

お知らせですよー
実は先月から、自宅のパソコンがネットに接続していません。

ですので、頻繁に記事をアップすることができませんので
どうぞご了承ください!



(この記事は1週間くらいしたら削除しますので、よろしくお願いします)
ふとんに入って
雨の音を聴いていると
なぜか気持ちが安らぐ

母の胎内にいたときの
血液の流れる音に
似ているのかもしれない



イランのように、滅多に雨の降らない地域のことを勉強しはじめてから
いま自分の住んでいる日本がこんなにも雨に恵まれていることを
一層ありがたく思うようになった。

腐海プロジェクトに植物はかかせないのだけれど
その植物も雨の降らない地域では生きることが難しい。



時折、洪水のニュースを耳にするけれど、
最近の洪水は天災ではなく人災なんだという気がする。

私の祖母の家は十数年前の洪水で屋根まで水につかり、流木で滅茶苦茶になってしまった。知っているひとが何人も亡くなった。
考えてみれば、あれも人災だった。


地面をコンクリートで固め、
ダムをつくり、水路をつくり、水の流れをコントロールしようとし、
木々を都合よく伐採して山を丸裸にする。




「自然と闘う」なんて云ったりするけれど、
自然に勝つなんていう考え自体、私にはわからない。

自然とは、目には見えない原理・法則。
それをよく知り、うまく味方につけることだ。
その自然の法則を「変える」ことなんて誰にもできない。

変わるはずであるのは、私たちのほうだ。


光が見えるのは、ものがあるからだ

光を反射するものがなければ光はみえない。
そしてそれをいろいろに受容する器官がなければ。



他人に対してあれこれ云うとき
何を基準にして判断しているかといえば
自分自身を基準にしている。


他人のうちに何か嫌なものをみるのなら
それはあなた自身のなかにもある。

あなたが否定し、抑圧し続ける限り
それは時々浮上してきてあなたを悩ませる。


自分のなかに赦せないものがあるなら、
あなたはそれを他人に対しても適応する。
つまり、そういう部分をもつ他人を赦すことができない。

これは苦しい。



あなたは他人という鏡をとおして
自分自身をみる。

他人は自分自身を映す鏡


あなたが微笑めば
鏡のなかの人物も微笑むだろう
ふたたび  絶対肯定について
私の核は

「絶対肯定」



それだけ

まずはそれ
夜、読書をしていると
いつもきまった時間に

窓の外を自転車で

歌を歌いながら通り過ぎていくひとがいる




そのひとの歌はとても上手とはいえないんだけど

むしろすごく音痴なんだけど

とても大きな声で気持ちよさそうに歌うから

思わずこちらまで気持ちよくなってしまう



自分の歌が上手だとか下手だとか

そのひとはまったく気にしてはいないようだ



それが、なんだかすごくいい





そんなことを考えながら

自分の歌を聴いている誰かがいるなんて

そのひとは思ってもいないのだろうけれど
愛にあふれる
あなたが愛の泉になるとき


あなたの周りは潤い

あなたの周りにいのちが集い

その場が感謝と豊かさで満たされるだろう
何か思いついたんだけど
学校に来たら忘れましたー。


また書きます。




…あ、紀伊国屋書店大阪梅田本店で、洋書のバーゲンやってます。
半額近くになってますよ。


以上。
先日、高野山で奥の院に行ったとき思ったこと


「私には、お墓なんていらない」




墓をつくらなければならないほど
人間は無明なのだ




そんなことを思いながら
雨に濡れて歩いたみちでした
ふたつのみち
幼いころ
自分の人生にはふたつのみちがあることを知った。


ひとつは 虚無として生きるみち
もうひとつは 人間として生きるみち


私は、人間として生きることを自ら選んだ

自分の使命を果たすために



そのころからこころの奥底にあるビジョンは
今も変わってはいない



でも昨年、人間の生がいやになって
(或いはその愚かさに失望して)
やっぱり無のみちを選んだほうがよかったのではないかと迷い
死のうとしたけれど
どこかで自分のことを信じている自分がいて
そしてその信じる気持ちがどこからくるのかというと
人間、そしてこの世界のことを愛しいを思っているからだった


自分ひとりのしあわせならば
どこか山奥にでも行って住めばいい

でも私はそうはしない







絶対肯定





愛しい愚かな人間よ
生きとし生けるすべてのものよ


幸せであれ
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