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奴隷解放宣言
決断とは、自らの未練をいっさい断絶することだと、あるひとが云った。
切り離してしまったものをもとに戻すことはできない、それほどのものでなければ、現状維持という居心地の良い状態を求めて過去からの習慣的自己に引き戻され、自らを書き換えることができない。


人間は、過去から連続した”私”があると勘違いする。
ほんとうは、常に変化しているのにも関わらず、それを認識することができない。
こうして自らの規定したイメージである”本当の自分”のなかに、多くのひとが閉じ込められる。


人生で出会うさまざまな問題のほとんどは、自分の考え方や習慣または環境を変えることで解決することが可能だが、そのことを認識することができないひとは、他人や社会や宗教のせいにする。みんな、「わたし」が大切で大好きだ。


適切な自己批判能力があればそうはならないはずだが、その能力は社会的教育によって育たないようにされている。
大衆は、本当に世界を操っているひとたちの思惑通りに、本当のことを知らされず、偽装された情報を信じ込まされ、バカであるようにプログラミングされた社会の中で生きているからだ。
こうして大衆は奴隷化され、富はいつも奪われている。
そのことを大衆が認識することはほとんどない。なぜなら信じきっているから。


だが、そんな支配者たちも宇宙の原理はコントロールできない。
そのことを認識する個人の思考もコントロールすることができない。


ちいさな近視眼的自己(=エゴ)に捕われている、自分自身に奴隷化された「わたし」を解放すること。
これはあたらしい奴隷解放宣言だ。


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祝福せよ  内田樹の書籍に寄せて
インターネットの利便性と匿名性は諸刃の剣
はびこる誹謗中傷の数々


他人に言葉で呪いをかけ
いかに上手にその人物を貶められるか競い
そうしたネット上での他人の争いを
無言で観戦することを愉しむ時代


ゲームの中のモンスターを切り刻むことでは満足できなくなった人間は
現実の世界でも同じことをしてみたくなるかもしれない
でもそうしてしまえば逮捕されるから
現実の世界の誰かを、実際にナイフを使うことなく
ズタズタにすることで自分の攻撃性を満足させる


誰かが倒されるのを見て優越感を味わい
不特定多数の誰かと協力して悪者を成敗することで
その罪悪感は軽減される


いつもは普通のサラリーマン
いつもは家庭の優しいママ

ネットで誹謗中傷しているその誰もが
たいていフツーの人間で
愛おしむべき、愛されるべきひとりの生身のにんげんで

そうやって、書き込みをすることでしか
解決できないものを抱えているのかも知れないが



けれどもそうすることで誰が救われるというのだろう?



強い呪いは自分も呪うもの
誰かを傷つけることは、自分を傷つけること

そんなことをしても、救われない



汝の敵を愛せよ
敵と思い込んでいるものを、愛せよ
嫌いだと思う者を、愛せよ

あなたはその対象のなかに自分がいることを知らない


何故、他人を愛せないのか
それは、あなたが自分を愛していないから


世界は自分を映す鏡
世界を祝福せよ













3つのD___ダイアログ、ディベート、ディスカッション
対話、討論、議論

ひととひとが対話するということは、互いに相手の言っていることを受けとめることができ、尚且つそれを理解し尊重することができなければ、成り立ちません。

とても難しいことです。
「今この瞬間にしか生きられない」ことからくる恐怖
ときどき、ある特定の陽射しや風景や音や匂いに、特別な感情を抱くことがある。

それが何なのか、何と言えば良いのか、明確な表現を得られないまま時が過ぎた。


過去に同じものを見た、聴いた、嗅いだことがあった、と思う。
次に、その過去は記憶のなかにしかない、過去には戻れない、と思う。
幼かった私が見たカーテンごしの陽射しや、若かった祖母のことなど、
今ではないその時のことを思い出す。
そしてその過去を懐かしく感じると同時に、
切ないような、哀しいような気持ちになる。

過去をリアルに感じることは可能だろう、未来をビビッドに観ることもできるだろう。
けれども、生きているのは「今この瞬間」でしかないと感じている。
信じている、思い込んでいるだけなのだろうか?
時間軸というのは、人間がつくりあげた概念に過ぎない、のだろうか。


5歳だった私が疑問に思ったこと
「明日のことを想像することと、実際にその瞬間に体験することが違うのはなぜか」


「今この瞬間にしか生きられない」から、「戻れない過去」を懐かしむしかない自分が哀しいのだろうか。
あっという間に過ぎていく人生を儚んでいるのだろうか。
死ぬのに生まれ生かされていることの理由がわからず、恐怖を感じるのだろうか。


___疑問だらけの、悟りの境地にはほど遠い私です。
宇宙のなかの人間
宇宙の中では、人間も、石も、植物も、鉄も、ただ存在するもので、優劣などない。

地震が来て、津波が起こって、どれだけの人間が死んでも、
宇宙にとっては、ただそれが起こったというだけである。

この絶えず変化してやまない広い宇宙においては、
地球がどうなろうと自然なことであって、それ以上でも以下でもないことなのだ。

ただし、自分たちの周囲の環境を変えることを覚え、
原子力というものを利用することを覚えた人間たちが、
自分たちの能力不足と傲慢さと無知のために引き起こした今回の顛末は、
宇宙にとってはユニークなものであった。

人類がこの知的暗黒時代から抜け出るためには、
このユニークな事柄(失敗ともいう)から
学ばなければならない。
7世代先のこどもたちへ
7世代先のこどもたちへ


私が今これを書いている2011年の3月、日本では大きな地震が起こり、
津波と原子力発電所の事故で危機にさらされています。
しかし、私は、人類がこの危機をかならず乗り越えて豊かな未来を築くことを信じています。

信じて思い描く未来__より鮮明なヴィジョン__こそが、
のちの現実をつくりだすことを知っています。


私たちの7世代前の人々は、私たちのことを想ってくれていたでしょうか。
今の豊か(と考えている)社会と生活をつくりだした人々が
それぞれの決断を下したとき、7世代先の未来の私たちのことを想ってくれていたでしょうか。
おそらく、享楽的な生活を始めたくらいから、
そんなに遠くの未来のことは考えなくなってしまったと思います。
人間の多くは、いつの間にか近視眼的になってしまったのです。


私や私たちの世代、そしてこれからのひとびとは、
もっと遠くを見て、もっともっと慎重に
未来への選択をしていくことが必要です。

全ての、生きるものたちへ
本当の意味で豊かな未来を手渡すために。

あなたがた、7世代先のこどもたちのために。
見えない犯人
「エコ」という新しい儲ける手段をうみだし、クリーンエネルギーを謳い原発を次々と建てさせ儲けたやつらは、この騒ぎのうちに静かに裏口から逃げ出している。彼らは既に次の儲けに走っている。

この見えない犯人は隠れてはいない。
多くの人々にとっては、無知のために見えないだけである。
東北地方太平洋沖地震
地震で被災した方々に、心からお見舞い申し上げます。
亡くなられた方々へ、ご冥福をお祈り致します。

私は、今まで、この時のためにたくさんできることがあったはずなのに、何もしませんでした。
出来なかったのではなく。
そんな自分を深く恥じます。

人々の衣食住のこと、教育のこと、その他諸々のこと。
自分に出来る事は沢山あったはずなのです。
申し訳ありませんでした。



これから出来ることをします。
それしかないです。
上から目線
最近、心理学とか脳科学とか自己啓発とか多すぎて嫌になっている。
特にお金持ちになる、幸せになる。。。と称するセミナーはいったいどういうセンスかと疑う。
私もかつては面白く感じて色々と研究したものだが、今はそれらを俯瞰している位置にいるような気がしている。
いい加減、中途半端な理論やメソッドで夢を見せて、多くの人たちを喰いものにするのはやめたらどうだろう。


人のこころは、変えられるものではない。
それは、自然と変わるものなのだ。


人を変えてやろうと意気込んでいるひとに、人のこころが決して変えられないのは、このことを理解していないから。
本当に人を導くひとはそのことを理解しているゆえに、他人の感情を揺り動かし、眠っていた夢を呼び覚まし、自ずから変わろうとするこころをおこさせることができる。

そしてそのことを一番理解し上手く利用している人間が、今世界を思うがままに動かしているという事実。
その人間に洗脳され操られている人間たちがまた、お金持ちセミナーを行っている。
まさか自分たちが誰かの手下になっているということも知らずに。

早くそこから脱出しなさい。

信じるこころ
それが唯一、ひとり歩む人間の支えになる。
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